松本市壽さんの『良寛 旅と人生』を読みました。

【読書日記】『良寛 旅と人生』松本市壽
良寛の生涯
江戸時代後期(1758年~1831年)の禅僧。
本名は山本栄蔵。
回船問屋を営む名家に生まれる。
幼少期より『論語』を読むなど、学問を好んでいた。
17歳のときに名主見習いとして働くも「昼行燈」と蔑まれ、仕事では失敗続きだった。(昼行燈とは、ぼんやりしていて役に立たない人間を指す)
18歳のときに、良寛が出家するきっかけとなる「敦賀屋事件」が起きる。
町年寄の敦賀屋長兵衛が、町名主をさしおいたまま七夕の節句に、帯刀した羽織袴で代官所に行って表玄関からご祝儀の口上を述べた。
これに町名主の以南(良寛の父)は怒りを感じ、長兵衛を呼びつけて良寛の前で激しく叱責した。
この叱責は不当なもので、言いがかりに近いものだった。
良寛と長兵衛は旧知の仲で、かつての親友を敵に回すような立場で、家の跡を継ぐことはできない。
良寛はこの事件をきっかけに、町名主になることを諦めて出家を決意する。
出家後は、尼瀬の曹洞宗光照寺を経て、国仙和尚の円通寺で12年間の修行生活に入る。
国仙和尚から「印可の偈(禅僧の修了証)」をもらい、どこかの寺の住職にはならず旅の僧となる。
托鉢行脚をしながら、国上山の「五合庵」に住みついて、約20年間本拠とした。
59歳で国上山の麓にある乙子神社の草庵に移住。
69歳で国上山を下りて島崎の木村家に移るも、里の騒々しさにとまどい、翌年は寺泊の照明寺密蔵院に仮寓する。
この頃に40歳年下の尼僧「貞心尼」と知り合い、男女の恋愛に近い歌のやり取りをする。
73歳のとき、ひどい腹痛下痢を患う。(直腸ガンと言われている)
享年74歳。
学びになった点
雲のように、風の吹くまま生きる
山のかげの岩の間を伝わって、かすかに苔の下を水が流れるように、ひっそりと私は山かげの庵に住み続けることであるよ。
この世を捨てて出家した私は、どんな心境であるかと尋ねられたならば、雨が降るなら降るにまかせ、風が吹くなら風にまかせて過ごしていると答えよう。
空に浮かぶ雲のように、何も待つことのない身であるから、庵に帰るかどこかに泊まるかは、風の吹くままに任せていることであるよ。
日はすっかり西に傾いてしまった。それなのに、庵へ帰る道のりはまだ遠い。そして托鉢に回り喜捨でいただいたお米を入れる頭陀袋は、痩せた肩に重く感じられるよ。
五合庵に住んでいたときの歌。
良寛が托鉢でもらったお米を担いで、草庵に帰るときの光景が目に浮かびます。
俗世を捨て出家した良寛は、空に浮かぶ雲のように、風に身を任せて暮らしていました。
人間社会から離れて隠居した私も、良寛のように「雨が降るにまかせ、風が吹くなら風にまかせて」暮らしています。
泥棒に布団をプレゼントした良寛
庵で寝ている夜中に泥棒が入った。目ぼしい物が一つもない庵の中から、寝ていた敷布団を持って行った。窓の外には明るい月が輝いている。あのすばらしい月だけは奪えない。風流心も奪えないよ。
良寛の草庵に泥棒が入ったときに詠んだ歌。
草庵に入った泥棒は、なにも金目のものがなくて、仕方なく良寛が寝ていた布団を盗もうとしたらしいです。
泥棒を不憫に思った良寛は、わざと寝返りを打って、泥棒に布団を盗みやすくしてあげました。
弱者を労わる良寛の性格が分かる、心温まるエピソードです。
双脚等閑に伸ばす
私は生まれてこのかた、世間でいうりっぱな人になろうという気になれず、自分の天性のまま自由自在に生きてきた。食糧はといえば頭陀袋の中に三升の米あり、燃料といえば炉端に一束の薪があるきりだ。迷った悟ったのという修行の跡などはすっかり払拭し、名誉とか利益への執心はまったくない。雨の降る夜は草庵の中で、両足を思いきり伸ばして眠るのだ。
私が一番好きな歌です。
良寛は出家してから、托鉢でもらった僅かな食糧で質素に暮らしました。
お金や名声への執着はなく「草庵の中で思いきり足を伸ばして眠れれば十分幸せだ」という率直な気持ちが伝わってきます。
私も良寛と同様に、名誉や利益の執着はありません。
不安や心配事がない状態で、思いきり足を伸ばして眠れれば、十分幸せだと思っています。
満足を知ることが、本当の豊かさである
欲ばらなければ何ごとにも満ち足りた思いになるが、むさぼる気持ちのある限り万事が行きづまる。わずかの青菜でも飢えはしのげるし、粗末な衣でもまあ身にまとっている。ただ一人で山に入るときは鹿たちと一緒に行き、大声をはりあげて村の子どもたちと合唱をする。石清水で俗塵に汚された耳を洗えば、嶺の上の松声がなんと快く聞こえることか。
良寛の足るを知る心「知足」について書かれた歌。
欲張らなければ、満足して暮らせる。
しかし、欲張る気持ちがある限り、満足できない。
わずかな食料と粗末な服があれば、満ち足りて暮らせる。(僧侶の着る服は「糞掃衣」といって、人が捨てたボロ布を縫い合わせて作っていた)
古代中国の皇帝「堯」が、隠遁者である「許由」に天下を譲りたいと言ったところ、許由は「汚らわしい話を聞いた」と言って、耳を洗ったそうです。(『史記』伯夷列伝)
欲望に満ちた俗世を避けて、清貧に生きる良寛の人生観が伝わってきます。
たくほどは風がもてくる落葉かな
私が庵で燃やして煮たきするくらいは、風が吹くたびに運んでくれる落ち葉で十分に間に合うことだ。だから私にとっては、この山中での暮らしは物に乏しくとも満ち足りていることよ。
良寛のもとに、長岡藩主の牧野忠清が訪れたときに詠んだ歌。
藩主の牧野は「長岡に寺を建てようと思っているので、来てくれないか」と申し入れました。
しかし、良寛は「たくほどは風がもてくる落葉かな」と歌で返答して、藩主の申し出を断りました。
「寺を持たずとも、いまの質素な暮らしで十分満ち足りている」という良寛の心情が分かる歌です。
私も以前、とあるテレビ局から出演・取材の依頼があったのですが、丁重に断りました。
そのときの心情は、まさに「たくほどは風がもてくる落葉かな」と同じです。
私は月3万円もあれば十分暮らしていけるので、これ以上お金を稼いだり、有名になったりする必要はありません。
災難に遭う時は、災難を受け入れるのがいいでしょう
「災難に逢時節には、災難に逢がよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候」
1828年、良寛が71歳のときに「三条大地震」が発生しました。
マグニチュード6.9、死者1607名、負傷者1400余名、1万以上の家が倒壊するほどの大地震だったそうです。
友人が安否を心配して、良寛に手紙を送りました。
その手紙を読んだ良寛が、友人あてに返した手紙が上記の「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候」というものです。
「人間は災難に遭う時には遭うし、死ぬときには死ぬ、それを静かに受け入れるのが、災難の悲しみから逃れる秘訣だ」
と言っています。
これは仏教の「諸行無常」の精神です。
世の中のすべてのものは、絶えず変化しています。
「この世は無常だから、いつ災難に遭うか分からない。災難に遭ったら静かに受け入れよう」
という心構えを持っておけば、いざ災難に遭ったときに絶望せずに済むでしょう。
感想
良寛はお酒は飲むしタバコもやる、挙句の果てになまぐさを食べる「破戒僧」でした。
しかし、私は「禅僧とはこうあるべき」という、形式に囚われない良寛の自由な生き方が好きです。
私は金銭や名誉に執着せず、清貧に生きた良寛を生きる指標としています。


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