PR

プロフィール

記事内に広告が含まれています。
スポンサーリンク

初めまして。隠居人のリョウ(@ryou_inkyo)と申します。

この記事では

・隠居人リョウとは、どんな人物なのか?

・隠居人リョウの半生

・情報発信を始めた理由

を、紹介させていただきます。

リョウ
リョウ

気軽に見ていただければ幸いです。

スポンサーリンク

隠居人リョウとは、どんな人物?

1988年生まれの35歳男。(2023年4月9日執筆時点)

大原扁理さんが書いた「20代で隠居:週休5日の快適生活」の影響で、隠居生活を始めました。

「隠居生活」とは、一言でいえば「なるべく働かずに、小さく生きていくこと」です。

現在、私の1カ月の生活費は約5万円

セミリタイアの聖地「大分県杵築市」にある家賃1万円台のアパートで、のんびり暮らしています。

冬の間だけ沖縄の離島で働いて、年収は90万円程度です。

「やりたくないことは、やらない」をモットーに、気ままな隠居生活を送っています。

リョウ
リョウ

座右の銘は「隠れて生きよ」。
社会と距離を置いて、自足的(他のものを求めず、自分で自分を満たすこと)に生きています。

隠居人リョウの半生

生きづらさを抱えていた「学生時代」

私は物心ついたときから、生きづらさを抱えていました。

具体的には

  • 朝起きれないから、ほぼ毎日遅刻
  • 授業がつまらなすぎて、毎回寝てしまう
  • 勉強も運動も、すべてが平均以下
  • 忘れ物、無くし物が多すぎる
  • 空気が読めな過ぎて、クラスメイトとうまくコミュニケーションがとれない


当然いじめの対象となり、寝てるところを蹴りで起こされたり、子供の心無い発言で、いつもバカにされていました。

家に帰っても、毒親・毒兄弟からの攻撃が待っており、どこにも居場所は無かった記憶があります。

リョウ
リョウ

小さい頃から「みんな出来て当たり前のことが、なぜか自分だけできない」。そんな生きづらさを抱えていました。

人生で初めて「死」を意識した「会社員時代」

辛い学生時代でしたが、会社員時代はもっと悲惨でした。

  • 新人なのに何度も遅刻する
  • 同僚たちとうまく話せない
  • 何度も同じミスを繰り返す
  • 言われたことをすぐ忘れてしまう(メモをとっても書いたこと自体を忘れる)
  • 仕事を辞めたくても、辞める勇気が無い

毎日のように、事故報告書を書いては怒られていました。

新卒で入社した会社に8年勤めましたが、毎日が地獄で生きた心地がしませんでした。

あまりの辛さに毎日のように

  • 「会社に隕石落ちてこないかな・・・」
  • 「心臓発作で楽に死ねないかな・・・」
  • 「通勤中にトラック突っ込んでこないかな・・・」


ストレスで頭がやられて、こんなことばかり考えていました。

「もしかして発達障害なんじゃ?」と思い、心療内科で相談してみたら

「ASDやADHDの傾向はあるけど、発達障害とまではいかない」という、いわゆる発達障害グレーゾーンと呼ばれるタイプでした。

長年の無理がたたって、身体も心も壊して退職。

「なんかもう全部どうでもいいや。最期にやりたいことやって死のう」

そう思って、夢だったバイクで日本一周の旅に出ました。

リョウ
リョウ

「そこまで辛ければ、仕事辞めればいい」という考えは、ストレスで鬱状態になると出てこないものです。今思えば、完全に異常でした。

全てを投げ打って始めた「旅人時代」

旅人時代には、色んな人と出会ってきました。

  • 何年も日本各地で、アルバイトをしながら旅を続ける人
  • 春~秋まで日本でバイトして、冬は暖かい国に行って自由に暮らす人
  • 自分と同じでどこにも居場所が無く、社会で生きづらさを抱えながら懸命に生きる人

旅を始めたおかげで視野が広がり

  • 世の中には、自分が想像もしなかった色んな生き方がある
  • 生きづらいと思っているのは、自分だけじゃなかった
  • 会社を辞めても、すぐ死ぬわけじゃない。案外なんとかなる

こう思えるようになりました。

特にフィリピン留学時代に行ったスラム街のボランティアでは、お金が無くても楽しそうに暮らしている人達を見て「日本のように物質的に豊かでなくても、心が豊かであれば幸せに生きることはできる」と実感しました。

フィリピンの中国人墓地に住む子供たち

半ば自暴自棄となって始めた旅でしたが、結果的に功を奏して、自分の価値観を大きく広げるきっかけとなったのです。

画像
バイク旅時代。北海道で撮影。

学校を卒業したら就職して、結婚して、家庭を持ち、定年まで働く…いわゆる普通の人生というのは、無数にある生き方の1つに過ぎない。

世間の常識は「多数派が生きやすく生きるためのルール」で、自分には当てはまらないことを、身をもって知りました。

リョウ
リョウ

「どんな人生が良いのか?」は人の数だけ存在して、絶対に正しい生き方なんて存在しない。旅をして、色んな人と出会った経験から学びました。

様々なことを経験して行き着いた「隠居生活」

旅をしながら日本各地でアルバイトした経験から

「どうやら自分は、まともに働くことが出来ないらしい」

と、自分がいかにダメ人間なのかを再確認しました。

私はどの仕事をやっても必ず以下のような体調不良が発生して、まともに動けなくなります。

  • 頭痛
  • めまい
  • 吐き気
  • 腹痛
  • 下痢
  • 食欲不振
  • 不眠
  • 抑うつ状態

「会社で働くことができないなら、自分の力で稼げるようになろう。」

こう思って色んな副業にチャレンジしましたが、どれもうまくいきませんでした。

「自分は会社で働くことはできず、かといって自分でお金を稼ぐ才能も無い。じゃあ、これからどうやって生きていけばいいのか?」
完全に詰んでいる状況に、とても悩みました。

そこで思い出したのが、過去に読んだ3冊の本

  • 『20代で隠居:週休5日の快適生活』大原扁理さん
  • 『ニートの歩き方』phaさん
  • 『僕たちに、もうモノは必要ない。』佐々木典士さん

この3冊の本が自分の人生を変えるきっかけとなりました。

「生活費を下げてインターネットをうまく使えば、週2日ぐらいの労働で楽しく生きていけるんじゃないか?」

この「生活費を下げて、なるべく働かずに生きる」生き方が、まるでパズルのピースのようにバチっとはまりました。

私には「お金を稼ぐ才能は全く無いが、お金を使わずとも幸せでいられる才能」があったのです。

こうしてたくさんのモノを手放してミニマリストとなり、悠々自適な隠居生活に突入しました。

↓人生を変えるきっかけとなった3冊の本↓

リョウ
リョウ

「読書には人生を変える力がある」と言いますが、この時ほど実感したことは無いです。

情報発信を始めた理由

これまでの辛い経験から
「自分と同じような社会でうまく生きることが出来ない人や、生きづらさを抱えている人の役に立ちたい」
こう思うようになり情報発信を始めました。

人の悩みも幸せの在り方も千差万別ですから、たくさんの人が救えるとは思いません。そんな能力のある人間ではないです。

ただ、自分が数冊の本に救われたように

「もしかしたら誰か1人ぐらい、昔の自分のように苦しんでいる人を救うことができるんじゃないか?」

こんな思いで記事を書いています。

アドラー心理学のベストセラー書「嫌われる勇気」の中に

すなわち「幸福とは、貢献感である」。それが、幸福の定義です。

岸見一郎 古賀史健『嫌われる勇気』より引用

というセリフがあります。他者貢献して誰かの役に立てる、ということは自分にとっても幸せなことです。

私が辛い人生から脱出するきっかけとなった

  • 節約術、断捨離などのミニマリズム
  • 日本一家賃が安い町「杵築市」に関する情報
  • 常識に縛られない生き方の参考になった書籍

これらの情報を発信していきます。

興味のある方は、是非見ていってください。

タイトルとURLをコピーしました