『エピクテトス 人生談義』を読みました。

【読書日記】國方栄二訳『エピクテトス 人生談義』
本の概要
奴隷の哲学者と呼ばれた、エピクテトスの哲学・思想が書かれた本。
エピクテトスの哲学は「我々の力の及ぶもの」「我々の力の及ばないもの」を2つに分けて、自分の意志でコントロールできる「我々の力の及ぶもの」だけに注力するもの。
自分の意志とは関係ない「我々の力の及ばないもの」に関しては、なるべく考えないようにして、心を奪われないようにする。
自分でコントロールできないもの(財産、評価、病気や死)を受け入れ、自分でコントロールできる「自分の意志」に専念して、心の平静を目指す思想を「ストア哲学」という。
人生で起こる様々なトラブルに惑わされず、心穏やかに生きるための思考術が学べる1冊。
「奴隷の哲学者」エピクテトス
エピクテトスは紀元後1世紀頃の、後期ストア派に属する哲学者です。
紀元後55年頃に、奴隷の身分として生まれました。
リューマチ、または主人からの虐待を受けて足が不自由だったようです。
ムソニウス・ルフスという哲学者のもとで哲学を学びます。
奴隷から解放された後は、哲学の学校を創設して若者たちに哲学を教えました。
エピクテトスのストア哲学
ストア派という名称は、アテナイの広場にあった虹色柱廊(ストア・ポイキレー)の中で講義したことが由来しています。
ストア哲学の目的は、何事にも動じない精神の自由「不動心(アパテイア)」を手に入れること。
不動心を手に入れるためには「我々の力の及ぶもの」「我々の力の及ばないもの」を見極める必要があります。
自分の意志で自由にできる「我々の力の及ぶもの」に注力して、自分の意志ではコントロールできない「我々の力の及ばないもの」に心を奪われないようにしなければなりません。
学びになったこと
我々の力の及ぶもの、及ばないもの
物事のうちで、あるものはわれわれの力の及ぶものであり、あるものはわれわれの力の及ばないものである。「判断、衝動、欲望、忌避」など、一言でいえば、われわれの働きによるものはわれわれの力の及ぶものであるが、「肉体、財産、評判、官職」など、一言でいえば、われわれの働きによらないものは、われわれの力の及ばないものである。そして、われわれの力の及ぶものは本性上自由であり、妨げられるものであり、本来は自分のものではない。
エピクテトスは「不動心(何事にも動じない心)」を手に入れるために、物事を2つに分けました。
- 我々の力の及ぶもの…判断、衝動、欲望、忌避など
- 我々の力の及ばないもの…肉体、財産、評判、官職など
我々の力の及ぶものだけは、自分の意志によってコントロールできます。
しかし、我々の力の及ばないものは、自分の意志でコントロールできません。
そのため、我々の力の及ばないものに心を奪われてしまうと、不動心から遠ざかってしまいます。
病気、死、貧困は、我々の力の及ばないもの
次のことを心に留めておくがいい。欲求が約束するのは、君が欲求しているものを得ることであるが、忌避が約束するのは、君が忌避しているものに遭遇しないようにすることである。また、欲求するものを得そこなう人は不運であるが、忌避することに遭遇してしまう人は不幸である。これらのことを心に留めておくがよい。だから、君の力が及ぶもので自然に反するものだけを忌避するならば、忌避するものに遭遇することはないだろう。病気や死や貧困を忌避しようとすれば、不幸になるだろう。したがって、われわれの力の及ばないすべてのものから忌避する気持ちを取り除いて、むしろその気持ちをわれわれの力の及ぶもののうちで自然に反するもののほうに向けることだ。
自分の力の及ぶ、衝動や欲望。
これらを忌避することは、自分の意志によって可能です。
しかし、自分の力の及ばない病気、死、貧困。
これらを避けようとするのは不可能です。
避けられないものを避けようとすると「避けたいのに避けられなくて苦しい」という状態になり、不幸になります。
不安の原因は事柄そのものではなく、事柄についての思いにある
人びとを不安にするのは、事柄ではなく、事柄についての思いである。例えば、死はなんら恐るべきものではなく──そうでなければ、ソクラテスにも恐ろしいと思われたであろう──、むしろ死は恐ろしいものだという死についての思い、これが恐ろしいものなのだ。だから、われわれが妨げられたり、不安にさせられたり、苦痛をあたえられたりする場合は、けっして他人を責めるのではなく、自分自身を、つまり自分の思いを責めるようにしよう。
私たちが不安を感じたり心配事を抱くのは、事柄そのものではなく、事柄についての思いによるものです。
たとえば「死そのもの」は恐れる必要はありません。
「死は恐ろしいものだ」という思い込みが、本当に恐ろしいものです。
ソクラテスは死刑判決を受けて、自ら毒を飲みました。
死は恐ろしいものではないことを知っていたからこそ、ソクラテスは死を恐れず死刑を受け入れたのでしょう。
「我々の力の及ばない」病気、死、貧困などを恐れることは、自分の考え方・捉え方に問題があるということです。
自由に至る唯一の道は、我々の力の及ばないものを軽視すること
もし君の力で勝つ見込みのない戦いを起こさなければ、君は無敵でありうる。
尊敬されているとか、大きな権力を持っているとか、ほかに評判のよい人をみて、心像に心を奪われ、幸福な人だと祝福することがないように、気をつけよ。というのは、善の本質がわれわれの力の及ぶものの内にあるのであれば、嫉妬や羨望が入る余地はないからだ。君自身は将軍や行政官や執政官になりたいわけではなく、むしろ自由になりたいのではないか。自由に至る唯一の道は、我々の力の及ばないものを軽視することである。
他者の権力や評判を見て、嫉妬したり羨望したりすると、精神的自由は手に入りません。
それらは「我々の力の及ばないもの」なので、自分の意志ではコントロールできないからです。
精神的自由を手に入れるためには、我々の力の及ばないもの(富や権力など)を軽視すること。
「勝つ見込みのない戦=富や権力を求める心」を捨て去れば、精神的自由に近づけるでしょう。
死を想像すれば、過度に求めることは無くなる
死とか、追放とか、あらゆる恐ろしいことを、毎日、目の前に思い浮かべるようにせよ。なかでも特に死のことを思え。そうすれば、つまらぬことを考えることもなければ、なにかを過度に欲求することもないであろう。
私は毎日、瞑想してるときや寝る前に「もし今日が命日になったとしたら」と、自分の死を想像します。
死を目前にしたら、どれだけ富や権力を持っていても、意味はありません。
「人間はいつか死ぬ。どれだけお金や名声を手に入れても、死ぬときには何の意味もない」
そう考えることで、お金・評価・地位などを過度に求めることは無くなりました。
感想
エピクテトスのストア哲学は、
- 自分の力の及ぶもの(どう判断するか、どう欲望と向き合うかなど)
- 自分の力の及ばないもの(自分の健康、他者からの評価など)
これらを見極めて、自分の力の及ぶものだけに注力すること。
そして、自分の力の及ばないものに心を奪われないようにする。
シンプルで分かりやすい実践哲学だと思います。
私の場合「どんな動画作るか」「どんな本を書くか」「それをいつ頃出すか」など。
こういった、自分でコントロールできるものだけに注力しています。
いいね・フォロワー数、YouTubeのコメント、本や動画の収入など。
これらの自分の力でコントールできないものは、あまり気にしないようにしています。
コントロール不可能なものをどうにかしようとすると、自分の理想に対して結果が伴わず、理想と現実のギャップに苦しむことになります。
私は「自分の力の及ぶもの」「自分の力の及ばないもの」を分けることで、精神的自由に近づくことができました。
「他者からの評価を気にしてしまう人」「不安や心配事を無くしたい人」におすすめの1冊です。


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