E・キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間 死とその過程について』を読みました。

【読書日記】『死ぬ瞬間 死とその過程について』E・キューブラー・ロス著 鈴木晶訳
本の概要
神学校の学生4人が、末期患者とのインタビューを通して判明した「死の過程」について書かれた本。
本書によると、末期患者が死に至るまでには「5つの段階」があると言います。
- 第一段階…否認と孤立
- 第二段階…怒り
- 第三段階…取り引き
- 第四段階…抑鬱
- 第五段階…受容
さまざまな末期患者を例にして、死に至るまでの5つの段階を解説します。
「自分や家族が末期患者になったとき、どのような対応をすればいいのか」を学べる1冊。
末期患者が死に至るまでの過程
第一段階/否認と孤立
①否認
私たちは死に瀕している患者二百人以上にインタビューをしたが、ほとんどの人は不治の病であることを知ったとき、はじめは「いや、私のことじゃない。そんなことがあるはずない」と思ったという。だれにでも最初に訪れるのがこの否認である。
『死ぬ瞬間 死とその過程について』E・キューブラー・ロス著 鈴木晶訳
ほとんどの末期患者は「自分はもうすぐ死ぬ」という事実を認めようとしません。
「自分はまだ長生きできる」「自分の死は、まだずっと先にあるはずだ」と思い込んでいるからです。
フランスの文学者ラ・ロシュフコーは「太陽と死は直視できない」と言いました。
私たちは自分の死を直視できず、末期患者であることを否認するのです。
②孤立
彼らは、彼女を避けていることを「あの患者さんは混乱していてよくわからない」とか「あんなにおかしなことを考えていて、何を話していいかわからない」などと言って、もっともらしい弁解をしていた。こうして孤立し、ますます孤独感を深めていくなかで、彼女が「ただ、だれかの声を聞くたくて」受話器を取るのを見かけることもあった。
(同前)
末期患者は現実を受け入れられず、混乱しておかしなことを言うなど、異常な行動を取ります。
その結果、周りの人から「あの人はおかしいから、関わりたくない」と思われて孤立してしまうのです。
現実を受け入れることによって気分が落ち着き、孤立も改善されていきます。
第二段階/怒り
第一段階の否認を維持することができなくなると、怒り・激情・妬み・憤慨といった感情がそれに取って代わる。そして必然的に、「どうして私なのか」という疑問が頭をもたげる。
(同前)
否認が終わって自分の病状を理解すると、
「どうして私がこんな目に遭わないといけないんだ」
という怒りに変わります。
そして、医者、看護師、家族に対して、自分の怒りをぶつけます。
「怒り」の過程にいる末期患者にしては「大切に接する」ことが大事です。
大切にされ、理解され、気にかけてもらい、わずかな時間でも割いてもらえる患者は、じきに声をやわらげ、怒って何かを要求をすることも少なくなるだろう。
(同前)
「自分は価値のある人間であり、愛されている」と理解すれば、自然と怒りも収まってくるでしょう。
第三段階/取り引き
取引とは何とか命を長らえようとすることである。それは「よい行い」をすることへのご褒美を兼ねていて、自分で「期限(デッドライン)を設定すること──たとえば、いま一度の公演や息子の結婚式──にもなる。だから、「もしそのための延命がかなったらならそれ以上は望まない」という暗黙の約束をすることになる。
(同前)
取り引きとは、延命するために神や医師などに対して「交渉」しようとする心理状態です。
たとえば「息子の結婚式に参列するまで、生き延びることができたら何でもします」という母親がいました。
「何でもします」という「よい行い」に対して、「自分の延命」という対価をもらう取り引きをするのです。
少しでも命を伸ばしてもらえるなら「人生を神に捧げる」とか、自分の身体を「科学に提供します」など。
延命と引き換えに、神や医者に対して交渉する患者は多いそうです。
第四段階/抑鬱
手術をしなくてはならない、再入院を余儀なくされる、いままでになかった症状がいろいろ出てくる、体力がなくなってきて身体もやせてくる──そうしたことによって、もはや自分の病気を否定できなくなると、末期患者が楽観的な態度をとりつづけることはできない。無気力さや冷静さ、苦悩や怒りは、すぐに大きな喪失感に取って代わられる。
(同前)
著者は末期患者の抑鬱を、2種類に分類しました。
- 反応的な抑鬱…自分の身体が弱ってくる悲しみ、治療が長引くことによる経済的な不安、家族を世話できなくなる罪悪感、など
- 準備的な抑鬱…この世との永遠の別れのために心の準備をするための深い苦悩。過去に失ったものではなく、これから失うことが気がかりなために起こる
前者の「反応的な抑鬱」は、周りの人が抑鬱の原因を聞きだして支援することで軽減できます。
たとえば、経済的な不安があったら支援制度を調べてあげる、家族の世話をしてくれる人を見つける、など。
牧師やソーシャルワーカーに相談して、抑鬱の原因を解消できるようなアドバイスをしたほうがいいでしょう。
後者の「準備的な抑鬱」は、周囲の人が話を聞いて悲しみに寄り添うことが大事です。
この抑鬱を持つ人に対して「人生の明るい面を見てごらん」「そう悲観的な見方をしなくていい」と励ましてはいけません。
「悲しむな」と言うのは「死について考えるな」と言っているのと同じです。
あれこれアドバイスするのではなく、
「黙ってそばにいてあげること」
「ただ静かに話を聞いてあげること」
これが一番良いそうです。
第五段階/受容
受容を幸福な段階と誤認してはならない。受容とは感情がほとんど欠落した状態である。あたかも痛みが消え、苦闘が終わり、ある患者の言葉を借りれば「長い旅路の前の休息」のときが訪れたかのように感じられる。(中略)死に瀕した患者は、いくばくかの平安と受容を見出すが、同時にまわりに対する関心が薄れていく。一人にしてほしい。せめて世間の出来事や問題には煩わされたくないと願う。
(同前)
1~4段階を経て、最後は受容に辿り着きます。
受容とは感情がほとんど欠落した状態のこと。
病気の進行と共に人生を静観するようになり、周りに対する興味・関心が薄れていきます。
この段階になると面会者が訪れることを望まず、1人でいることが多くなるそうです。
面会するにしても、いろいろな言葉をかけるより患者の手を握るとか、背中に枕を当ててやる、など。
そういった非言語的コミュニケーションが望まれます。
死を目前にした静かな時間は「長い旅路の前の休息」と言えるでしょう。
感想
本書はターミナルケア(末期医療)に関心を持つ人たちから「聖書」と呼ばれているそうです。
「死に至るまでの過程」を自分が知っていれば「今の自分は、どの段階にいるのか」を客観的に把握できます。
そのため、自分が末期患者になっても慌てることなく、冷静に現実を受け止められるようになるのでしょう。
「自分や知人が末期患者になったとき、どう対応すればいいのか」学びになる1冊でした。


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