『天-天和通りの快男児 16巻』 福本伸行
著者紹介
漫画家の福本伸行さん。
ギャンブル漫画の第一人者として知られる。
大金や命をかけて勝負するシーンでの人間の本性、リアルな心理描写を描く作風が魅力であり特徴的。
本書の他に、「アカギ ~闇に降り立った天才~」「賭博黙示録カイジ」など、多数の著書がある。
本の概要
53歳という若さで早発性のアルツハイマー病にかかってしまった、天才雀士「アカギ」。
アカギは自分の意識を失う前に「マーシトロン」という安楽死装置を使って、自らの生に終わりを告げようとする。
アカギの自殺を止めるために力強い説得を試みる、かつての仲間達。
「死にたいアカギ」に対して「アカギに生きていて欲しい仲間達」と、生と死の問答が繰り広げられる。
「死とは何か?」「生命とは何か?」、死生観を学ぶことができる1冊。
こんな人におすすめ
学びになった点
死ぬ事は特別じゃない…! みな…死や病を忌み嫌いすぎる 死ぬ事は時に…救いですらある…!
多くの人は、死を悲観的に捉えすぎています。
誰しも遅かれ早かれ死はやってくるので、特別なことではありません。
ほとんどの場合、病院のベッドで点滴や人工呼吸器につながれて、自分の意識が無いまま死んでしまう。
それに比べたら、死にたいときに死ねるのは理想的なこと。
アルツハイマーになったアカギにとって、死は救いでもあるのです。
死は誰にでも、平等に訪れます。
死を忌み嫌うのではなく肯定的に受け止めることで、人生の最期に憂いなく旅立つことができるでしょう。
意識が消えようと残ろうと…OK どっちに転んでも…心配するにはあたらない…
アカギは「死を恐れる必要はない」と主張します。
その理由として、死に対して2つのパターンを例に出します。
- 死んですべてが消えるなら、全くのゼロなんだから心配することはない
- もし魂が存在したとしても、痛い・痒いという神経とつながってないから、生身より過ごしやすい
つまり、どちらに転んでも死を恐怖する理由とはならないのです。
死んで無になるなら、それ以上なにも感じることがないから怖がることはありません。
魂だけの存在になったとしても、五感が失われ苦痛が無い状態になるなら、生身の肉体より快適だと言えます。
消滅しようがねえのさ すでに今あるものは存在し続ける…形を変えてな…
アカギは人が死んでも消滅するわけではなく、別の命に形を変えて存在し続けると考えます。
元々、生命というのは海に溶けた砂や塵のような無生物でした。
そこから微生物など原始的な生命が生まれ、進化を重ねて人間になっていった。
仮に死んで土に還ったとしても、それは人間になる前の、元の生命に戻るだけのこと。
つまり、人の生命は形を変え続け、世界に存在し続けるというわけです。
自然界で動物が死んで土に還ったら、木や草花などの生命に変換されます。
それは生命が別の形に変わっただけで、常に世界には在り続けるのです。
この本を読んで変わったこと
死に対する恐怖が和らいだ
本書を読んでから、死に対する恐怖が少し和らぎました。
アカギが考えるように死んで無になるなら、そもそも思考することはできないので心配するも何もありません。
仮に魂のようなものがあったとしても、五感が失われ痛みや苦しみとは無縁であるなら、現世より生きやすいと考えられます。
どちらにしても、悪い結果にはなりません。
死の恐怖を完全に無くすことは難しいですが、「死んでも、そう悪いことにはならなそうだな」と考えられるようになりました。
死に関する書籍はたくさんありますが、アカギの死生観は腑に落ちるものでした。
生命に対する価値観が変わった
「人間の生命は死んで終わりではなく、形を変えて残り続ける」
この考えは、私の生命に対する価値観を変えてくれました。
死んでも人間という器を離れて、土や草のように姿形を変えて世界には存在し続ける。
世界から完全に消えて無くなると考えると少し怖いですが、いつまでも残り続けるのであれば死はそう怖くありません。
この世に「死」は存在せず、自分の生命は何かしらの形でどこかにあり続けるのです。
仏教の「輪廻転生」に近い考え方だと思います。
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