著者紹介
永崎裕麻さん。
「旅・教育・自由・幸せ」を人生のキーワードとして生きる旅幸家。
2年2か月に及ぶ世界一周後、2007年に幸福度ランキング1位のフィジーへ移住。
100カ国を旅した経験を生かして、「世界青年の船」「東南アジア青年の船」に教育ファシリテーターとして参加。
現在はフィジー語学学校(Free Bird Institute)に、マネージャーとして勤務。
本の概要
フィジー人が実践する「幸福の習慣」について書かれた本。
日本人からすると非常識とも思える、「4つの幸福の習慣」をフィジー人は持っている。
幸せになるために、国の制度を変えることは難しい。
しかし、個人が幸せになるために、「フィジー人が持つ幸福の習慣」を真似することはできる。
「幸福途上国」の日本において、「幸福先進国」のフィジーから学ぶべき点は多い。
「なぜフィジー人は、お金が無くても幸せなのか?」
「なぜ日本人は、生活が豊かなのに幸せを感じないのか?」
日本人とフィジー人の考え方、価値観の違いについて学べる1冊。
こんな人におすすめ
学びになった点
日本人が幸せを感じられない3つの理由
暮らしの中で「仕事」の優先順位が高すぎる
日本では、お客さんの時は世界最高のサービスを受けることができます。しかしその分、働く側にまわった時のストレスも世界一なのです。商品の価格帯にかかわらずファーストクラスのサービスが当たり前。お客さんの期待値が高すぎる。「客は天国、労働者は地獄」の格差社会です。
日本人は、生活の中で「仕事」を優先しすぎる傾向があります。
日本の会社には、いまだに残業を評価する上司がたくさんいるからです。
たとえば、日本の男性の平均労働時間は26カ国中、最長と言われています。(OECD)
休日を含む1日あたりの平均労働時間は、26カ国の平均が4時間19分に対し、日本は6時間15分。
これらを助長しているのが、高品質の商品・サービスを求める消費者です。
テキトーを許さず、常に「完璧」を求める消費者が、働く人々を苦しめています。
昨今では、企業に対して消費者が無理な要求をする「カスハラ」が問題視されているようです。
本当は何がしたいのか考える暇もなく、仕事に追われるだけの人生は「過労死(KAROUSHI)」が待っているかもしれません。
日本人は、生活の中で仕事の優先順位が高すぎるため、心に余裕が持てず不幸になっています。
人付き合いの中で「世間体」を意識しすぎる
日本人は「他人からどう見られるか」をつねに意識しています。まわりから「変な人」を思われないように、空気を読み、多数派に合わせながら生きています。(中略)本音をひた隠しにして生きていかなければならない社会は息苦しいものです。その行き着く先に、本当にみなが望む「安心」はあるのでしょうか。
日本人は、過剰なまでに「他人の目線」を気にしながら生きています。
周りの人から嫌われることを、必要以上に恐れているからです。
行きたくない会社の飲み会に参加したり、Facebookで自らの意思に反して「いいね」したりなど。
周りの人から嫌われないように、自分の本音は隠して、空気を読まなければなりません。
多くの日本人は「常識」や「世間体」といった、目に見えないものに怯えながら生きているのです。
人の目を気にしながら生きるのは、「生きづらさ」につながります。
「人間関係」が希薄すぎる
仕事が忙しく、プライベートの時間が少ないため、職場以外のところで豊かな人間関係を築くことが難しい。最愛の家族ですら、一緒に過ごす時間が限られています。幸せも喜びも「共有」する時間がありません。
日本人は、他国と比べて人間関係が希薄だと言われています。
仕事が忙しすぎてプライベートな時間が持てず、職場以外の人と交流する機会が少ないからです。
固定化された人間関係が合わずに引きこもる人や、その煩わしさから友達を作らず、自ら孤独を選ぶ人も増えています。
他者とのつながりがない「おひとりさま社会」が形成され、2040年頃には年間20万人が孤独死すると言われています。
日々の仕事に忙殺され、最愛の家族ですら「幸せ」や「喜び」を共有する時間が無いほど、「人とのつながり」は失われてしまったのです。
日本人は自由な時間が少ないため、他者と過ごす時間を共有できずにいます。
フィジー人が持つ、4つの幸せの習慣
モノもお金も何でも「共有」する習慣
フィジー人の哲学は「俺の物はみんなの物、お前の物もみんなの物」。やさしいジャイアンです。何でもみなで共有するのがフィジー人の常識です。
フィジー人は、モノに限らず何でも「共有」します。
「ケレケレ(お願い、頂戴、貸して)」という言葉を使って、お互いモノを分け合ったり、助け合ったりしながら生きています。
そのため、フィジー人には「所有」という感覚がありません。
「僕のモノはみんなのモノ、あなたのモノもみんなのモノ」という価値観を持って、なんでも「共有」するのです。
永崎さん曰く、「フィジー人は、やさしいジャイアン」だそうです。
自分にも他人にも「テキトー」な習慣
フィジー人は日本人から「めっちゃテキトーですね」と、よく言われるそうです。
フィジー人は、みんな「自分にゆるく、他人にもゆるく」生きています。
「細かいことは気にしない」という国民性なので、ストレスフリーでいられるのです。
失敗しても日本のように厳しく怒る人がいないため、心に余裕が生まれ他人に対しても寛容でいられます。
どんな時も「現在フォーカス」する習慣
フィジー人は「今」を大切にします。
「Life is short」という言葉を使い、「人生は有限」であることを理解しているからです。
フィジー人は過去や未来にとらわれず、「今」を楽しむ習慣が身体に染みついています。
悩みの多くは「過去の後悔」と「未来への不安」です。
悩みや不安を無くすためには、「今」を生きることです。
光の速さで「つながり」をつくる習慣
フィジー人は「世界一フレンドリーな国民」と言われています。
距離感を詰めるスピードが、ほかの国民と比べて圧倒的に早いからです。
「人類みな兄弟」という感じで、赤の他人でも家族のように接してくれます。
慎重な日本人からすると、フィジー人の距離の詰め方は圧巻ですね。
なぜ「共有」することは幸せなのか?
「共有」することで、なぜ幸せになれるのか?
その答えは、「自分の存在価値を確認できるから」です。
共同体の中で生きていく上で最大の不幸は、自分がまわりに必要とされていないと感じる孤独感であり、最大の幸せは、人に必要とされること
心理学者 アルフレッド・アドラーの言葉
日常的に「共有」を繰り返し、他者と交流することで「自分は必要とされている」という実感を持ちます。
そうやって「自分の存在価値」を確認して、幸せを感じるのです。
フィジー人は「共有」を通じて他者とつながることで、自分の存在価値を確認しています。
なぜ「テキトー」な人は幸せなのか?
なぜ「テキトー」な人は、幸せになれるのか?
テキトーな人には、責任やこだわりといった「制約(縛り)」がほとんど無く、ストレスと無縁でいられるからです。
たとえば、フィジー人はよく約束を破ります。
日本ではありえないですが、これがフィジーの常識です。
フィジー人は「自分にゆるく、他人にもゆるい」ため、約束を破っても日本のように信頼を失いません。
日本のように「こうあるべき」という縛りが無いため、テキトーなフィジー人はストレスを感じることがなく、幸せでいられるのです。
フィジー人の「テキトー」なところが「寛容さ」につながり、失敗を恐れる必要は無くなります。その結果、心に余裕が生まれ、ストレスフリーな社会が形成されています。
なぜ「現在フォーカス」すれば幸せになれるのか?
なぜ「現在フォーカス」すると幸せになれるのか?
「今」に集中して生きることで、過去や未来に囚われることが無くなるからです。
過去と未来が存在するのは、人がそれについて考える時だけ。つまり、両方とも印象であり、実体がない。それなのに私たちは、過去に対する後悔と未来に対する不安をわざわざつくりだしているのである。
アラン『幸福論』
悩みや不安の多くは「今」ではなく、過去と未来にあります。
過去や未来にとらわれず、「今」を生きることができれば、悩みのほとんどは無くなるのです。
将来を不安に感じたり、起きてしまった出来事に悩まされたりするなど。
悩みの多くは、「過去」と「未来」に存在します。
なぜ「つながり」は人を幸せにするのか?
なぜ「つながり」は、人を幸せにするのか?
その理由は、人は「利他」によって幸せを感じる生き物だからです。
幸せな人に他人とのつながりが増える原因は、その利他主義にある
心理学者マーティン・セリグマン『世界でひとつだけの幸せ』
「利他」とは、他者の幸せを願うこと。
あるいは、自分の働きかけによって他者に利益を与えることです。
フィジー人は他人の幸せを願い、一緒になって喜びます。
つまり、他人の幸せも自分の幸せとしてカウントできるため、幸福度が高いのです。
フィジー人は「持つ者が持たざる者に与えるのが当たり前」で、人に与えることに喜びを感じます。その「利他」によって、自分も相手も幸せになり「幸福の輪」が広がっていきます。
日本の若者に芽生え始めた幸せの習慣
「共有」について
近年、「シェアリングエコノミー(共有型経済)」という言葉が生まれました。
たとえば、「シェアハウス」や「カーシェアリング」など。
インターネットを通じて、様々なモノやサービスを共有する若者が増えています。
モノを所有して一人で得る幸せより、体験を共有してみんなで得る幸せの方が幸福度は高いです。
日本人もフィジー人のように「幸せを共有する」ケースが増えています。
幸せは「所有」して掴む時代から「共有」して掴む時代へ。
フィジーのようにお互いで分け合い、支え合うようになれば、生きやすくなりそうですね。
「テキトー」について
日本では、仕事の優先順位が高すぎたり、世間体を意識しすぎたり、何かと「しすぎる」傾向があります。
しかし最近では、若者を中心にそのバランスが良くなっているようです。
たとえば、上司から飲み会に誘われても断ったり、出世を求めず定時帰宅して、プライベートな時間を優先するなど。
一昔前なら「これだからゆとり世代は…」と一蹴されていましたが、いまは段々と認識が変わってきています。
昭和の古い価値観を脱却して、若者は「テキトー」が「適当」だと気付き始めているのです。
日本人は完璧主義なので、「テキトー」と感じるぐらいが、世界的に見て「適当」なのかもしれません。
「現在フォーカス」について
東日本大震災の影響で「いつ死ぬか分からない」ことを実感して、いつ死んでもいいように「今」を生きる発想が広がりました。
それを実践しているのが「ミニマリスト」という、必要最低限のモノで暮らす若者たちです。
彼らはモノを減らして精神的なゆとりを感じ、シンプルに暮らしています。
従来の多数派に合わせた生き方ではなく、自分が大切にしたいものを優先する生き方です。
お金で幸せは買えないことを知った若者は、ボランティア活動など社会貢献度の高いものに関心を持つようになりました。
その利他的な活動によって、結果的に自身の幸福度を高めています。
私自身、ミニマリズムを実践しているため、共感できる点が多かったです。
「つながり」について
現代の若者は、会社の上司など縦の関係ではなく、インターネットを使って横のつながりを作っています。
たとえば、SNSで趣味や価値観の近い人を見つけて交流するなど。
会社の飲み会に参加しないことが増えて、「いまの若者はコミュニケーション力が低い」と言われがちです。
しかし、本当はインターネットを活用して「横のつながり」を作っているのです。
これからの時代は「縦のつながり」よりも「横のつながり」を意識して、価値観の近い仲間とつながることが大事です。
コメント