本の概要
84名の作家による「鬱」をテーマにしたエッセイ集。
「毎日を憂鬱に生きている人に寄り添いたい」という思いが込められている。
病気の鬱だけでなく、日常にある憂鬱、思春期の鬱屈など、様々な形の「鬱」がある。
一人あたり約1000文字のメッセージが載せられており、短文なので読みやすい。
「苦しんでいるのは自分だけじゃないんだ…」と、鬱状態のときに読むと心がラクになる一冊。
こんな人におすすめ
学びになった点
生きづらい人が求めるのは「心の平穏」
一度、精神的に危険なところまで追い詰められたことのある人にとっては、求めるものは心の平穏であり、それ以外のことは大して重要ではないという心境になるものだ。その時点から物事の価値が根本から変わり、世界の色が変わる。
飯島誠『鬱の本』
私は生活の中で「心の平穏」を大事にしています。
幸せに生きるためには、「心の平穏」が必要不可欠だからです。
私は物心ついた時から生きづらさを感じて、会社員時代に自殺未遂の経験があります。
自殺を考えるほど追い詰められた経験から「何もない日常」に幸福を感じて、それ以上を求めなくなりました。
生きづらさを感じて精神的に追い詰められた経験がある人は、心の平穏を求めて「何もない日常」に幸福を感じるのです。
自殺を考えるほど精神的に追い詰められた人は、「心の平穏」以上の物事を求めなくなります。
ぼたもちを食べるためのコスト
勘違いしないで欲しいんですが、遠くにあるぼたもちを、あれは酸っぱい腐ってるって言い張ってるのとは違いますよ。(中略)ノーコストで手に入るなら有るほうがいいけど、現状から真っ当にコストを払って得ようとすると割に合わないから無くていい、という状態が世の中にたくさんあります。ぼたもちを貯金とか学歴とか美に当てはめてください。そりゃ有るほうがいいんだろうけど、その「ぼたもち」との距離は人によって違うんですよ。
石井あらた『鬱の本』
私は普段から禁欲的な生活をしていますが、決してそれが好きというわけではありません。
「美味しいものは食べたいけど、そのために働くのは嫌だな」と天秤にかけた結果、今の節約生活に行き着いたのです。
「本当は欲しいと思っている自分」を認めないと、妬みや嫉妬の原因となります。
イソップ童話に出てくる「酸っぱいブドウ」では、届かない位置にあるブドウを見たキツネが「あれは酸っぱいブドウで美味しくないんだ」と決めつけて取るのを諦めます。
自分の能力の低さを認めず、対象を貶めることで自己を正当化する比喩です。
「美味しいものは食べたいけど、そのために頑張るより家でダラダラしてたほうがいいな」と、自分の選択に納得することが大事です。
「本当は欲しいと思ってる自分」を素直に認めた上で、「でも、あれは手に入れるにはコストが高すぎて割に合わないな」と、納得できれば妬みや嫉妬は無くなります。
ネガティブな言葉が必要な人
しかしもし、この暗い喜びこそが私を生きさせてくれていたとしたら、どうだろう。世の中には希望や喜びをもって生きている人も多いだろう。だがその逆の人もいる。ポジティブなものごとを通して人生の喜びを感じている人は、ネガティブなものを必要とする人を理解するのが難しいかもしれない。それでもそうした人は存在するものだ。そして私はその一人だった。
大谷崇『鬱の本』
世の中にはポジティブな言葉が必要な人もいれば、ネガティブな言葉が必要な人もいます。
鬱や生きづらさを抱えている人は、ネガティブな言葉を見ると生きる気力がもらえるからです。
私はネガティブな人間なので、鬱っぽいときはエミール・シオランの言葉や、鶴見済さんの著書『完全自殺マニュアル』を読むと元気が出ます。
精神的に沈んでいるときには、自分同じ状態の人の言葉を見ると、心がラクになります。
ネガティブな人にとって、意識が高い成功者の言葉は逆効果です。
自分と同じ鬱っぽい人、生きづらい人が書いた本を読みましょう。
「有言不実行」でも良い
私は、ことばと行動に一貫性を求められる世界が苦手だったのだ。たとえば「あとで右折します」といって実際左折したら、めっちゃ怒られるじゃないですか(中略)心が弱っているときは、自分が発したことばが、ふとい鉄のくさりのように重く感じて、もう一歩も足を踏み出せないような気がする。でも、そんな矛盾した気持ちは大人の世界では「無責任」などツッコまれるので、大きな声では言えません。
大原扁理『鬱の本』
世の中は、言葉と行動に一貫性を求められます。
言葉と行動が一致しない人は、「あいつは口ばかりだ」と非難されるからです。
しかし、実際にはすべての発言に対して一貫性を求めるのは難しいと思います。
「昨日は○○だと思っていたけど、よく考えてみたら間違ってた」なんてのは、良くあることです。
私はブログを始めたとき「ブログで稼げるようになるため。毎日更新しよう」と思っていましたが、その翌日には「あ、無理だ」と思って考えを改めました。
「有言実行」は良いことだと思いますが、「有言不実行」も人間らしくて良いのではないでしょうか。
人間は間違える生き物なので、「ああ言ってしまったから、最後までやらなきゃ」ではなく、違うと感じたら前言撤回して修正するのが大事です。
「鬱の本」は「希望の本」
どうしようもない生き辛さを感じて、この世界で上手く立ち回れない人が、例え不格好でもみっともなくても、多少デタラメだろうが、何かがズレていようが、その生き辛さとどうにか折り合いをつけて、何とか前に進んでいこうという態度が滲み出ている表現に触れる度、自分はどれだけ救われて来たのだろう。自分が思う「鬱の本」とは、回り回って誰かにとっての「希望の本」だと思うのだが、どうなのだろう。
佐々木健太郎『鬱の本』
「鬱の本」は、誰かにとっての「希望の本」となりえます。
世の中にはポジティブな言葉に救われる人もいれば、ネガティブな言葉に救われる人もいるからです。
私は生きづらさを感じて行き詰っていたとき、phaさんや大原扁理さんの本を読んで救われました。
意識高い系の自己啓発本を生きづらい人が読むと「もっと頑張らないとダメだ…」となるので逆効果です。
人生で何をやってもダメなとき、どん底を感じたときは「ネガティブな言葉が載っている本」を読んでやり過ごしましょう。
生きづらい人に必要なのは、自分と同じ生きづらさを抱えた人の言葉です。
一冊の本は自殺の延期
多くの作家が晩年の孤独の中において、ようやく物事に諦めがつき、執着が薄れていった果てに、そうしてまっすぐな眼差しで自分自身の過去の上に鎮座して、「自伝」や「私小説」というものを書き残す。
高村友也『鬱の本』
哲学者のエミール・シオランは「一冊の本は、自殺の延期だ」と言いました。
なぜなら、本を書いている間は世の中に溢れる苦痛を考えずに済むからです。
なにもしないでじっとしていると、ネガティブなことばかり頭に浮かんで希死念慮に駆られたりします。
私も本の作成をすることで、自ら延命しているのかもしれません。
生への執着が薄れて人生に諦めがつくと、自分の人生を1冊の本にしたくなる人は多いようです。
本当に鬱のときは何もできない
鬱っぽい内容について書いた本は多いけれど、本当にどうしようもなく鬱っぽいときは、文章を書くことも読むこともできないと思う。(中略)鬱っぽい気分のときは、ひたすら頭を低くして嵐が過ぎるのを待つしかない。ごまかしながらやり過ごしていれば、そのうち気分か状況のどちらかが変わる。そうやって今までやってきた。
pha『鬱の本』
本当に鬱でダメなときは、なにもしないのが一番です。
私の経験上、気持ちが沈んでいるときは何をやっても空回りして、後ろ向きに捉えてしまいます。
鬱状態になったときの対処法は「すべての行動を諦めて、ひたすら寝る」のがおすすめです。
「あーなんかもう何をやってもダメだな」と感じたときは、仕事も家事も投げ出して寝るようにしています。
寝ているうちに少しずつ体力や気力が戻ってきて、自然とまた行動できるようになるのです。
鬱になったときは「何もしないこと」。これが鉄則です。
このまま眠って目が覚めない幸せ
私は寝る前に、「今から眠って目がさめなかったらいいなあ」と毎日のように思ってから眠る。あしたの準備を一応はするけれども、何かをめざしている途中で急死できたなら、幸福な人生ではないか。(中略)私はもう充分生きた。これ以上生きていても、そんなに凄いことはできないと思う。謙遜ではなく、心からだ。
枡野浩一『鬱の本』
私はこれ以上長生きしても、「人生の幸福度」には影響がないと思っています。
今が人生で一番幸せであり、仮に明日死んだとしても何も後悔が無いからです。
世の中の多くの人は幸福を先送りにする傾向があるため、「まだまだ人生の途中で死ねない」と思っているかもしれません。
しかし、私はやりたいことは全てやってきたので「もう十分長生きしたな」と、残り余生のつもりで生きています。
私も枡野さんと同じように、毎日寝る前「このまま寝て目が覚めなかったら、痛い思いをせずに死ねるからラクでいいな」と思っています。
日本もオランダやベルギーのように、安楽死を合法化して欲しいです。
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