
マシュマロで「バイクで旅をしていたときの話が聞きたいです」というリクエストを頂きました。
私がバイクで日本一周の旅をしていたのは、かれこれ約10年前になります。
ちょうどいいタイミングなので、当時の記憶を振り返りながら話していきたいと思います。
【隠居人Q&A】バイクで旅をしていたときの話が聞きたいです
バイクで日本一周の旅に出ることになった経緯
仕事でうつ病になり、自〇未遂する

私は茨城の田舎で生まれ育ち、20歳で地元の老人ホームに就職。
28歳まで介護士として働いていました。
会社員時代は朝起きれないし、仕事は全然できないし、職場の人間関係も悪くて本当につらかったです。
普通のサラリーマンとして働いていた8年間は、あまり生きた心地がしませんでした。
それでも、
「一生懸命働けば、いつか必ず報われるはずだ」
そう信じて、身も心もすり減らしながら働き続けました。
無理がたたって、25~26歳のときにうつ病を発症。
うつ病の薬を飲みながら頑張って働き続けましたが、28歳で限界を迎えて退職しました。
退職後は失業保険の申請や、就職活動するためにハローワークに行く必要があります。
ですが、うつがひどくて身体が動きません。
「またあの地獄を味わうのか」と考えると、全身が拒否反応を起こして、3か月ぐらい家で引きこもっていました。
「なんかもう全部どうでもいいや。生きていてもつらいだけだから、さっさと死のう」
人生に絶望した私は、自〇を決意します。
自分の死に直面して、日本一周を決意する

痛みや苦しみを感じるのは嫌だったので「練炭自〇」をするため、ホームセンターで七輪や木炭を購入。
あとはアルコールが強いウイスキーと、心療内科でもらった眠剤を一緒に飲めば、ラクに死ねると思いました。
道具をすべて揃え、いざ決行しようとした瞬間、
「本当に、このまま死んでいいのかな」
「最期に何か、人生でやり残したことはないのかな」
と、死に直面して初めて「自分の内に秘めた本音」と向き合うことができました。
「死ぬのはいつもできるから、どうせ死ぬなら最期にやりたいことをやってから死のう」
そう思って、長年の夢だったバイクで日本一周の旅に出ることを決意しました。
『旅がなければ死んでいた』の著者、坂田ミギーさんも仕事で心身を壊して旅に出たそうです。
ここまでやってきたたどり着いたのが、幸せどころか、吐血。ドラマか漫画でしか見たことない風景が、現実に、しかも自分に起きている。
坂田ミギー『旅がなければ死んでいた』
このとき、ようやく気がついた。
がんばって働いたら幸せになれるとか、ウソ。少なくとも、わたしにとっては。
このままじゃ精神も肉体もやられて、最悪死ぬ可能性もある。20代の数年をうつ病に費やしていた自分は、このまま沼にハマるとどうなるかわかっていた。
世間さまに言う通りにやってきた。受験勉強して大学いって、就活して、いい仕事して、それなりのところまで来たよ。なのに、このルート、バッドエンドっぽくない?
これはわたしのほしかった未来じゃないし、足は臭いし、吐血もしてる。現代の日本的価値観に忠実に生きてきたけど、どうやらこのままじゃ自分は幸せになれないらしい。
(中略)だから、旅に出ることにした。
「世間の言う通りに生きてきたのに、幸せになるどころか不幸になっていた」
「このままじゃ幸せになれないから、答えを探すために旅に出ることにした」
という点が、私と同じで共感できました。
バイクで日本一周 前半戦(関東から沖縄へ)
最初の出会いは鹿児島の離島「甑島」

2016年4月、バイクで日本一周の旅に出ました。
いちばん最初の大きな出会いは、鹿児島の離島「甑島」です。
寂れた公園で野宿しようとして、テントを張っていたとき、
「こんにちは、バイクで旅してるんですか?」
と、島の人が声をかけてくれました。
声をかけてくれた人もバイク乗りで、話が盛り上がり、
「良かったらウチで夕飯食べていってください」
と、夕食をご馳走になりました。
島で獲れた魚を使った刺身、煮つけが美味しかったです。

翌日、コシキテラスというカフェに行きました。
とても雰囲気が良くて昼・夜2回行ったら、大雨の影響か夜はお客さんが私1人だけ。
カフェの店員さんから、
「今日はもうお客さん来ないと思うので、良かったら一緒に飲みませんか?」
と、飲み会を誘ってくれました。
バイクで旅してる人が珍しくて、昼間に来ていたことも覚えててくれたみたいです。
後から知ったのですが、そのときにお世話になった山下さんはカフェだけじゃなくて、色んな事業を手掛けている実業家でした。

山下さんは物腰が穏やかで、話を聞くのが上手で、
「世の中には、こんな素晴らしい人がいるんだな」
と、新しい発見がありました。
もし甑島に行く機会があったら、またお会いしたいです。
フェリーに乗って沖縄へ

鹿児島からフェリーに乗って、沖縄へ向かいます。
このフェリー旅が好きで、船内の売店を見たり、海を眺めながらビールを飲んだりするのが楽しかったです。

沖縄では、石垣島のゲストハウスで声をかけてくれた女性と離島巡りをしました。
これは竹富島の水牛車に乗って、島を回っていたときの写真です。
このあと、日本最西端の「与那国島」と最南端の「波照間島」を制覇して、沖縄の旅を終えます。
日本一周ライダーとの出会い

Twitterを通じて、いろんな日本一周ライダーと知り合いました。
左はW650で旅をする、奄美大島出身のライダーKくん。
彼は南大東島のアルバイトに誘ってくれた、私の恩人です。
右はZ250で旅をするOくん。
Oくんとは、北海道のライダーハウス「蜂の宿」で再会して、一緒に工場でアルバイトしました。
このほかにも、たくさんの日本一周ライダーと出会い、
「バイクで旅をするなんて自分ぐらいだと思っていたけど、日本一周どころか世界一周してる人もたくさんいる。自分が知らなかっただけなんだ」
と、自分の視野の狭さを思い知りました。
一時帰宅、バイク乗り換え

西日本の旅を終えて、茨城の実家に一時帰宅します。
旅仲間から「東方と北海道は良い林道がいっぱいあるよ」と聞いていたので、オフロードバイクに乗り換えることにしました。
オフロードバイクの候補としては、
- ホンダ XR250BAJA
- ヤマハ TT250R Raid
- スズキ ジェベル250XC
この3つがありました。
どれもタンク容量が多くて、旅向きのオフロードバイクです。
最終的には、バイクで世界一周した賀曽利隆さんの影響で、ジェベルに決めました。
バイクで日本一周 後半戦(関東から北海道へ)
ジェベルで林道を走る

乗り換えたジェベルで、林道を見つけては走りました。
林道の中は虫や動物の鳴き声、木々の葉擦れしか聞こえてなくて、静かでとても落ち着きます。
都会の喧騒より、私は田舎で静かなほうが好きです。
北海道の広大な大地を満喫

北海道は「ライダーの聖地」と呼ばれるだけあって、走りやすくて景色が良い道がたくさんありました。
この写真は、北海道の十勝にある「ナイタイ高原」のものです。
一緒にいた日本一周ライダーが撮影してくれました。
伝説的なライダーハウス「蜂の宿」

北海道で一番思い出に残っているのは、ライダーハウス「蜂の宿」です。
1泊500円で泊まれる伝説的なライダーハウスで、日本全国から旅人が集まっていました。
この宿は雨漏りするし、キッチンにはハエが大量にいるような場所です。
ですが、その「適当な感じ」が良くて大好きな場所でした。
ライダーハウスなのに誰もツーリングに行かなくて、漫画を読んだり、ゲームをしたり、麻雀をしたり、など。
みんなでダラダラして過ごすのは楽しかったです。
写真の左側にいる「アルマくん」は、大泉洋さんの「水曜どうでしょう」が好きで、50ccのカブで日本一周していました。
アルマくんとは一緒にキャンプしたり飲みに行ったりして、社会のレールから外れたもの同士、仲良くなれました。
いまは昔と同じ50ccのカブで、世界一周しているようです。
アルマくんのYouTube

蜂の宿のマスターのブログ
バイクで日本一周 その後
藤原かんいちさんとの出会い

約半年かけて日本一周を終えた私は、自宅で次の予定を考えていました。
そのときに、元・世界一周ライダーの藤原かんいちさんから「取材させてくれませんか?」と連絡がきました。
藤原さんは50ccの原付で世界一周した、バイク旅人の中では伝説的な存在です。
『タンデムスタイル』というバイク雑誌にある、バイク旅人のコーナーで紹介してもらいました。

藤原さんは私より20歳ほど年上の方ですが、エネルギーに溢れた魅力的な人でした。
「自分も藤原さんみたいに、いくつになっても自分に正直な人生を生きたい」
そう思わせてくれる、素晴らしい出会いでした。
藤原さんは2027年から6年かけて、DAX125でタンデム世界一周の旅に挑戦するそうです。


藤原さんを見ていると、
「新しい挑戦をしないことを、歳のせいにできないな」
と、実感します。
50ccのカブで旅を再開

藤原さんに影響を受けた私は、50ccのカブに乗り換えて旅を続けました。
旅をして視野が広がった私は、
「世の中には、自分のように働いていない人はたくさんいる。もしかしたら、ダメな自分に合った生き方があるかもしれない」
当初は「死ぬ前の思い出作り」だったのが、いつからか「自分探しの旅」に変わっていました。
- 「自分にとっての幸せとは何か」
- 「自分はどんな人生を送りたいのか」
- 「自分にとって、本当にやりたいこと。人生をかけてやりたいことは何か」
自分なりの「人生の答え」を、旅をしながら探し続けました。
日本のバイク旅を終えて、海外へ

それから夏は北海道、冬は沖縄でアルバイトしながら旅を続けました。
しかし、結局自分が探していた「人生の答え」は見つかりませんでした。
沖縄の南大東島で知り合った人から、フィリピン留学の話を聞いて、
「これ以上、日本を旅しても新しい発見は無さそうだ。これからは海外を旅してみよう」
と、海外を旅するのに必要な英語を身につけるために、フィリピンに語学留学することを決意。
これにて2016年から2019年まで、約3年続けたバイク旅に終止符を打ちます。
おわりに
この記事では、いまから10年前にバイクで日本一周していたときの話を紹介しました。
もし、旅に出るか迷っている人がいたら、若いうちにやっておいたほうがいいと思います。
なぜなら、旅をしていたときの経験は、時間が経つにつれて価値が高くなるからです。
ベストセラーとなった『DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール』では、
「人生は経験の合計で決まる。人生で一番大切な仕事は思い出作りだ」
と、言っています。
人生は経験の合計だ。あなたが誰であるかは、毎日、毎週、毎月、毎年、さらには一生に一度の経験の合計によって決まる。最後に振り返ったとき、その合計された経験の豊かさが、どれだけ充実した人生を送ったかを測る物差しになる。
『DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール』ビル・パーキンス著 児島修訳
(中略)「人生でしなければならない一番大切な仕事は、思い出づくりです。最後に残るのは、結局それだけなのですから」
人生の豊かさは、経験の合計で決まります。
そして、その経験は若いうちにやっておくと「記憶の配当」がついて、より価値が高くなるのです。
とても楽しかった休暇旅行のことを思い出してほしい。その旅行についてあなたは、友人に話したり、自分一人で旅の回想をしたり、一緒に旅した人と思い出話に耽ったり、同じような旅行の計画を立てている誰かにアドバイスをしたりしたはずだ。
(同前)
こんなふうに、元の経験から副次的に生まれる経験は、まさに記憶の配当だと言える。その経験は、積み重なっていく。忘れがたい旅を振り返ることで、どれくらい多く、豊かな時間を過ごせただろうか。繰り返し思い出すことで、元の経験よりも多くの喜びが得られることだってある。
金を払って得られるのは、その経験だけではない。その経験が残りの人生でもたらす喜び、つまり記憶の配当も含まれているのだ。
私はいまこうして、10年前の楽しい思い出を振り返り「記憶の配当」をもらっています。
旅に出るのが早ければ早いほど、歳をとったときの「記憶の配当」を多くなるでしょう。
もし旅に出るか悩んでいる人がいたら、勇気を出して若いうちに旅に出て欲しいと思います。

