著者紹介
「元日本一のニート」と呼ばれたphaさん。
京都大学を出てからサラリーマンとして働くも、仕事だけの人生に疑問を感じていた。
Twitterとプログラミングに出会ったのをきっかけに、会社を退職。
その後は定職に就かず、ネットやパソコン好きが集まる「ギークハウス」というシェアハウスを運営する。
現在はシェアハウスから離れて、一人で暮らしている。
本書のほかに、「持たない幸福論」「しないことリスト」など、著書多数。
本の概要
無職やニートなど、お金がない人でも楽しく暮らすための「インターネット活用法」が書かれた本。
ネットの活用法以外にも、「日本の閉塞感」「生きづらさ」に関する鋭い考察が載っている。
日本の若者が感じる「閉塞感」や「生きづらさ」は、昔に作られたルールや価値観に縛られていることが原因である。
そんな「生きづらさ」を抱える人たちに対して、
「仕事よりも命が大事」
「世間体は気にするな」
「合わない場所からは逃げていい」
と、著者は訴えかける。
人間は、働くために生きているわけではない。
「お金をかけないネットの活用法」と「日本の閉塞感・生きづらさ」について学べる一冊。
こんな人におすすめ
学びになった点
いろんなことを諦めよう
世間体だとか、一般的に「これをするべきだ」と決められていることなんか気にせずに、本当に自分が欲しがっているものだけ手に入れればいいのだ。自分に本当に大切なこと以外は諦めるのが大事だ。いろんなことを諦めると人生はラクになる。
いろんなことを諦めると、人生はラクになります。
なぜなら、「諦める」というのは、執着を捨てることと同じだからです。
私もこれまでの人生で、いろんなことを諦めてきました。
こうした「執着」を手放すことで、生きるのはラクになります。
仏教では、「諦める=明らめる」と言うそうです。
人生に不要なことを「諦める」ことで、本当に必要なことを「明らめる」ことに繋がります。
日本が生きづらい理由
東南アジアの発展途上国なんかと比べてみると、やっぱり日本はまだまだ恵まれているほうだと思う。(中略)じゃあなぜ、日本に生きる若者がこんなに生きづらさや閉塞感を感じているんだろう。それは多分、日本の経済がまだ成長している頃に作られたルールや価値観が生き残っていて、それがみんなを縛っているせいなんじゃないかと思う。
日本はなぜ生きづらいのか?
昔に作られたルールや価値観が、いまを生きる人たちを縛り付けているからです。
こういったことが出来ない場合「最近の若いやつは…」と、非難されてしまいます。
特に日本は「石の上にも3年」のような、何事も我慢することを強要する雰囲気が強いです。
昔に作られた社会の常識が、時代は変わっても残り続け、生きづらさの原因となっています。
昔は正解だった生き方は、令和では通用しなくなっています。
古い価値観を押し付けられ、それを強要されることが生きづらさに繋がるのです。
仕事よりも命のほうが大事
仕事なんて命に比べたらどうでもいい。人間は仕事のために生きてるわけじゃないし、仕事なんて人生を豊かにするための一つの手段にすぎないんだから。(中略)会社という組織に属しているとその組織の雰囲気に縛られて、そういう人生の基本的なところを忘れてしまうことがある。ちゃんと働かなきゃいけない、真っ当に生きなきゃいけない、他人に迷惑をかけてはいけない、といった強迫観念がみんなを縛り付けているせいで、日本の自殺者は年間三万人もいるんじゃないだろうか。
命に比べたら、仕事なんて二の次でいいと思います。
なぜなら、仕事はあくまでも「人生を豊かにするための一つの手段」に過ぎないからです。
しかし、実際に会社で働くと周囲の目線や社内の雰囲気に晒されて、
- ちゃんと働かないといけない
- 真っ当に生きないといけない
- 他人に迷惑をかけてはいけない
こういった強迫観念に縛られてしまいます。
「~しなければいけない」という思いに囚われ、自分を追い込んでしまい、自殺や過労死してしまうのです。
私たちは、仕事をするために生まれてきたわけではありません。
仕事よりも自分の命を大事にしましょう。
私が留学したフィリピンでは、仕事が原因で自殺する人はいないと言っていました。
日本人は、自分の人生より仕事を優先してしまう傾向があるように思います。
もっとテキトーになっていい
日本人は周りにどう見られるかを気にして自分を犠牲にしすぎだと思う。もっと全体的に適当でいい加減になっていいし、それで社会が不便になるなら不便になってもいい。電車やバスが遅れまくったり停電がしょっちゅう起きたりコンビニが二十四時間営業じゃなくなっても、その分みんなが気楽に生きられるならそっちのほうが幸せなんじゃないだろうか。もっとみんなだらだらしよう。
日本のサービスは、世界的にみて高水準です。
- バスや電車は、寸分の遅れなく運行
- スーパー、コンビニの24時間営業
- トラブルのない、完璧なライフライン
このような高水準のサービスは、消費者にとって便利なものです。
しかし、消費者が高水準のサービスを求めるほど、それらを維持する労働者を追い詰めています。
『世界でいちばん幸福な国フィジーの 世界でいちばん非常識な幸福論』によると、フィジーでは店員がマニュアルを守らなかったり、パスポートの名前や生年月日が間違えて発行されたりすることもあるそうです。
著者の永崎裕麻さんは、「自分にも相手にもゆるい」その「テキトーさ」が「寛容さ」につながると言っています。
電車やバスが少しぐらい遅れたり、コンビニが24時間営業じゃなくても、死ぬわけではありません。
みんなテキトーになって社会の寛容性が上がれば、日本に蔓延する「生きづらさ」を緩和するきっかけとなります。
日本人は、良くも悪くも「完璧主義」です。
少しのミスも許されない社会は、生きづらさの原因となるでしょう。
世間体は気にするな
世間体なんていう誰の評価か分からないものを気にするのはやめて、自分と趣味や価値観の合う仲間を作って、その中でゆるく生きていけばいい。お金とか地位とか名誉とかやりがいとかそんな大層なものがなくても、とりあえずの食べる物と、寝る場所と、暇を潰す手段と、あと友達さえいれば、人生なんてそれで十分だ。
幸せに生きるためには、世間体や他人の評価は気にしなくていいと思います。
なぜなら、世間体を気にすると自分の人生ではなく、他人の人生を生きることになってしまうからです。
以前の私は、親・兄弟・会社の人間といった周囲の目線を気にして、自分の意見を押し殺していました。
その結果、「自分は何のために生きているんだろう…?」と、自分の人生を見失ってしまったのです。
お金や地位が無くても、最低限の衣食住とお金のかからない娯楽さえあれば、楽しく暮らせます。
世間体は気にせず、自分にとって必要なもの・大切なものといった「自分の実感」を大事にしましょう。
日本人は世間体を気にして、身動きが取れなくなっている人が多いように感じます。
周囲の目線に縛られず、もっと自由に、楽しく、幸せに生きていいのです。
選択肢が多ければ死なない
若い人がいじめで自殺したりするのは本当にもったいないしクソだと思う。自殺してしまう人というのは、他の選択肢が見えなくなってしまっていて、もう生きていてもどうしようもない、と思うから死を選んでしまうことが多い。「今がダメでも他の場所に行けばなんとかなるかもしれない」という選択肢や可能性が残っていれば人はなかなか死なない。だから選択肢がいろいろあることは重要なのだ。
人生の選択肢は多いほうが、生きやすくなります。
いまの生き方がうまくいかなくなっても、別の生き方を選ぶことができるからです。
逆に人生の選択肢が少ないと行き詰まりやすくなり、生きる術を失い犯罪や自殺につながります。
たとえば学校でのいじめは、選択肢が少ないから起こる典型的な例です。
小学校~高校まではクラスが固定化されて、その中で人間関係がうまくいかなくても、決められた教室に登校するしかありません。
選択肢のない閉鎖的な空間では、いじめが発生しても逃げ場所がなく、次第にエスカレートしていき「生きていても辛いだけ」と、最期は死を選んでしまうのです。
- 授業を受ける場所を、家か学校か選べる
- 大学のように受ける科目を選択できる
- 学校に行ってもいいし、行かなくてもいい
などの選択肢があれば、いじめがそこまでエスカレートすることはないでしょう。
選択肢が多いほど、いまの環境が合わなくなっても別の生き方を選ぶことができるので、人生の難易度は減ります。
選択肢の多さは、「逃げ道の多さ」とも取れます。
逃げ道が多いほど、人生で行き詰まりにくくなります。
合わない場所からは逃げよう
世の中で一般的とされているルールや常識や当たり前は、世の中で多数派とされている人たちに最適化して作られている。少数派がそんなアウェイな土俵で戦っても負けるだけだ。無理して我慢しても意味がないし、向いていない場所からは早めに逃げたほうがいい。レールから外れることで自分と違う人種の人たちにどう思われようが気にすることはない。
自分に向いていない場所からは、早めに逃げることをおすすめします。
合わない環境にいると自分の能力が発揮できず、成功できないからです。
『諦める力』という本には、元オリンピック選手の為末大さんが男子100mを諦めた結果、400mハードルでメダルをとることができたと書かれています。
自分に合わない環境に見切りをつけ、自分に合う環境で努力したことで成功できたのです。
私のような「少数派」の人間が「多数派」の生き方をしても、環境に適応できず疲弊します。
人それぞれ自分に合った環境があるので、合わない環境からは早めに逃げたほうがいいです。
「少数派」には、少数派に合った生き方があります。
無理して「多数派」に合わせようとせず、自分に合った生き方をしましょう。
仕事のための人生ではなく、人生のために仕事がある
やっぱり日本人は努力とか頑張りとか我慢とかを過剰に褒める傾向があって、それがこの社会の息苦しさを作っているんだと思う。仕事のために自分の人生を犠牲にするのはおかしい。仕事のために人生があるのではなく、人生のために仕事があるのだから。仕事を頑張りすぎて自分の人生を削るのは本末転倒だ。
仕事のために、自分の人生を犠牲にするのはやめましょう。
仕事のために人生があるわけではなく、人生のために仕事があるからです。
日本人は休日出勤・サービス残業など、長時間労働を称賛する傾向があり「仕事のための人生」となっています。
そのため、働き過ぎて鬱病になったり、過労死したりしてしまうのです。
過去の私も仕事を頑張り過ぎたせいで、うつ病となり体重は20kgほど減って、倒れて入院することもありました。
仕事はあくまでも、人生を良くするための手段に過ぎません。
「働くための人生ではなく、人生のために働くこと」これを履き違えないことが大事です。
努力や頑張りを過剰に評価して、それらが出来ない人を批判する風潮が、生きづらさの原因となっています。
お金が無くても楽しめるインターネット活用法
インターネットやゲームや本が好きな人はそんなにお金がなくても幸せに暮らせるんじゃないかと思う。僕なんかひたすらウィキペディアを読んでいるだけで何時間も過ぎていることがよくある。(中略)ネットにはお金をかけなくても楽しめる無料のコンテンツが既に大量に存在している。
ネットをうまく活用すれば、お金がなくても楽しく暮らせます。
なぜなら、ネット上には無料で楽しめるコンテンツが大量にあるからです。
ネット上にある無料コンテンツを活用すれば、お金をかけずに余暇時間を楽しむことができます。
私は無料の動画やゲームで十分楽しめるため、娯楽に一切お金を使いません。
自己責任は50%でいい
ニートだとかひきこもりとか生活保護受給者だとか、自分でうまくお金を稼げない人に対して「それはその人の自己責任」「努力しない人間を助ける必要はない」「働かざる者食うべからず」って言って切り捨てようとする人が今の日本では多い気がするんだけど、僕はそれはちょっと違うんじゃないかと思っている。僕の感覚では、別にニートに限らず何事においてもだけど、自己責任と、それ以外の自分でどうしようもないことの割合は50%50%くらいだ。だけど、今の日本社会では9割くらいが自己責任に押し付けられているように感じる。
自己責任とそれ以外の責任の割合は、50:50ぐらいでいいと思っています。
なぜなら、「自責」「他責」どちらかに思考が偏ってしまうとトラブルの原因となるからです。
100%自己責任にしてしまうと、追い詰められて鬱や自殺の原因となります。
逆に100%他人の責任にすると、自分を見つめ直すきっかけを失い、成長できません。
「自分の努力が足りなかったところもあるかもしれない。その一方で、才能・環境的にどうにもならないところもあるから仕方がない」
「自分のせいにもせず、他人のせいにもしない」、50:50ぐらいがちょうどいいのです。
このどちらにも偏りがないバランスの良い状態を、孔子やアリストテレスは「中庸」と呼び、仏陀は「中道」と説きました。
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